spoon2Di vol.45バナナフィッシュ特集の感想

spoon.2Di vol.45を読みました。

簡単に概要と中身を少しだけ。

表紙のアッシュと英二はネットの画像で見るよりも実際に手に取って見た方がこっちに伝わって来るものがあって(単純に大きさもあるけど、色合いとか光線の入り方とか)現物の方がいいなと思いました。

購入する前からなんか作画が今までに見た事ないようなアッシュと英二だなぁと思っていて原画担当の方の名前をチェックしてみたら「原画:鴨居知世」ってなってて聞いたことない人でした。

でも作画が誰とか関係なく最終回の後のこの2人のこの絵だから何でもアリというか何見ても切なさと嬉しさを感じるよね。

月龍役の福山潤さんのインタビューが興味深かったです。

アッシュの最期の瞬間の気持ちを英二がどう思っていたかという福山さんなりの考察は私の中にはなかった考え方で読んでいてとても新鮮でした。

「光の庭」の中で英二の「僕の手紙が彼を・・・」っていう言葉が私の中で一番重たいと思っていて、英二は自分の手紙を読んだアッシュが感極まって自分の元へ駆け出しただろうことまで想像できていただろうし、何よりも大切で運命から守りたかった人をその運命を招く原因を自分が作ってしまったんだと分かった時、英二の心は苦しみや後悔や自責の念ばかりだと思っていたんですが、福山さんのインタビュー読んでいると「自分の手紙のせいで・・・」っていう後悔や自分を責める気持ち100%な訳じゃなかったかもしれないなと思いました。

多分最後のアッシュの幸福な気持ちを英二も少しは感じとっていたんじゃないかなと。他人の気持ちをすごく敏感に感じとる彼のことだから。

英二のキャラをよく理解されているんだなぁと思いました。

あとは月龍がブランカに最後に言われた言葉「あなたを気にかけ愛してくれる人が~」っていう言葉の福山さんなりの解釈とか、「光の庭」のシンは月龍を何よりも信頼しているけどアッシュ(の死)の事があるから月龍のそばにはいられない、というような事も話されていました。

ちなみに「光の庭」でのシンの月龍に対する気持ちの解釈は私の中では福山さんと違っていて、例えば「光の庭」の中で月龍が「相変わらず英二の所へ入り浸っているのかい?」ってシンに聞くシーンがあって、その時シンは「別に入り浸っちゃいねぇよ」って無表情で答えるんですが、あれって何気なく英二を守るために言ったセリフだと思ってるんですよ。一瞬無意識に警戒してしまってああいう言い方になったというか。

アッシュと英二の絆が深まれば深まる程月龍の憎しみが増していって悲劇を招いてしまった事をシンは身を持って知っているし、「光の庭」の2人の会話のやり取りを聞いているとシンはまだどこかで月龍に気が許せない部分があるんじゃないかなと。

自分が英二の家に入り浸ることでいつまた何がきっかけになって月龍の憎しみが再燃するか分からないし、同じ過ちは多分繰り返さないだろうと頭では信頼していてもどうしてもあの時の事がトラウマになってしまっていて。

もちろん月龍もそういうシンの気持ちが分かっているから「隠さなくていいよ」「君の負い目は僕にも責任のあることだ」「君のプライベートに干渉する気はない」と言ったんだと思いますが。

「心配しなくてもあの時の過ちは繰り返さないよ」という気持ちで。

シンにとって月龍は憎めない存在だし、その後兄弟の契りを交わす仲にまでなる訳だけど、少なくとも「光の庭」時点のシンにとっての月龍は「何よりも信頼」とか「月龍のそばにいたい」っていう感じではなく、同志で大事な存在ではあるけれど、一方で相容れない部分もあるし、最終回でシンが月龍に言った「あんたを許すつもりはねぇ」という言葉は「光の庭」のシンもずっと覚えていて、やっぱりこの2人はお互いそばにいるというよりかは離れた所で同志として支え合うくらいの関係がいつまでも続くんじゃないかなと思いました。

って考えた後で後ろのページのシン役の千葉さんのシン→月龍への気持ちの解釈を読んだ時はまた興味深かったです。(最終回のシンの気持ちをすごく理解されていて)

あと、アッシュは日本に行ったら幸せになれたのか?という福山さんの考察もありました。

私も日本にアッシュが行っていたらとか英二がまたニューヨークに戻ってきたらとか色々考えてみた事ありますが、考えれば考える程アッシュにとってはあの最終回のラストが幸せ絶頂であの時に死ぬのが一番良かったんだろうなって思わされるし、福山さん以外のインタビューでもアッシュが日本に行っていたらまた別の悲劇があったと思うって言っている方もいたので、みんな結局嫌でもそういう結論に達してしまうんだろうなぁと。

その後の2人の未来がどうしても綺麗に交わらなくて。





アッシュと英二の関係性は最終回に向けての「積み重ね」っていう内海監督の言葉は私がアニメを観ながらずっと感じていた事で、だからこそ2人の関係性を自然に描いて行ってほしいなと思っていました。

原作よりアニメの2人の方が良いなと思ったシーンもあったし、特に後半はそんな事気にならなくなるくらいのストーリーと演出でしたが、一部から言われている「アニメの英二はナヨナヨしている」っていうのは私もずっと気になっていて、「アッシュと英二の関係性」の捉え方がちょっとズレてるんじゃないかと感じる所が特に前半はちょこちょこあったのでそこは残念だったし、2人の絆が大事ならなんで野島さんに「もうちょっとかわいい声の英二にして下さい!」とか変な所にこだわったんだろうって疑問に思う所はあるけど、その辺りのキャラ変は現代にアニメ化したからしょうがないのかなぁとか思いつつ観ていました。

あと、最終回にアッシュがなぜ図書館のあの席に座ったのかの理由が語られていますが、これは公式サイトの24話ストーリージャーナルにも載ってますが英二が座っていた席に座ったんですね。

なんで重傷で歩くのもやっとのアッシュが図書館に戻った時一番手前の席じゃなくてわざわざその向かいの席に座ったんだろうって何気にずっと疑問だったんですがスッキリしました。

24話のジャーナルの一番最後の「そして-日々は続いていく」っていう言葉が読み手によってどういう風にも解釈できる書き方でいいなと思いました。(アッシュが死んだとも明記されていないので)

まだ読んでない人は公式サイトに行って読んでみて下さいね~。

内田さん、野島さん、ラオ役の斉藤壮馬さんのインタビューもありました。

脚本の瀬古氏のインタビューも2ページ。

サリンジャーには個人的に思い入れがあったみたいです。

サブタイトルに対する瀬古氏の想いやエピソードを知りたいと思っていたので興味深かったです。

24話のライ麦の主人公とアッシュの事についてもやっぱり重ね合わせていたんだなと思いました。

別の人がアニメ化していたらまた別のバナナフィッシュになるという言葉を聞いて、いつか長い年月を経てまた再アニメ化する事もあるのかなと思いました。

そして一番最後、真っ黒なページに

「My soul is always with you」

の英二の手書き風の文字と、その隣のページ一杯にもう一度表紙の2人が載っています。(表紙の文字が全て消えた2人だけのイラストが)

さて、6話までですでに何人ものキャラクターたちが早々に退場していきました。アッシュ側の人間でいえばスキップ、グリフィン、ジェニファー。バナナフィッシュという漫画は容赦がない。主人公を凌ぐと言っても過言ではない人気者のショーターにも、アッシュのソウルメイトである英二にも、そして主人公のアッシュにさえも。
バナナフィッシュの連載終了から12年後に発売された英二の写真集「NEW YORK SENSE(ニューヨークセンス)」。 ...
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